「引き継ぎが終わるまで辞めさせない、と言われた」「後任が決まらないから退職日を延ばしてほしいと言われた」——そんなことを言われて、動けなくなっていませんか。結論から言うと、厚生労働省が公開している「モデル就業規則」を全文検索したところ、「引継」「引き継」という語は一度も出てきませんでした。退職の条文にも入っていません。
この記事では、モデル就業規則が退職するときに求めていることと、引継書に何を書くか・期間の決め方まで整理します。読み終わるころには、いつまでに何を引き継げばいいかが決まります。
引き継ぎに、法律上の義務はあるのか
厚生労働省は、会社が就業規則を作るときの手本として「モデル就業規則」を公開しています。全14章・70条の、かなり細かいものです。
この全体版(Word形式)を当サイトで全文検索したところ、「引継」「引き継」は0回でした。(2026年8月23日時点。数えたのは当サイトなので、原典に「引き継ぎの義務はない」と書かれているわけではありません)
退職について定めた第52条を見ても、引き継ぎは出てきません。第52条は「前条に定めるもののほか」——つまり定年(第51条)以外の場合として、次の4つを挙げています。
- 退職を願い出て会社が承認したとき、又は退職願を提出して〇日を経過したとき
- 期間を定めて雇用されている場合、その期間を満了したとき
- 休職期間が満了し、なお休職事由が消滅しないとき
- 死亡したとき
期間の定めのない雇用なら、退職はいつでも申し出られます。会社の承認がなくても、申し出た日から起算して原則として14日が経てば退職になります(民法第627条第1項)。
出典:モデル就業規則(厚生労働省)/令和7年12月版・第52条の解説。条文は民法第627条第1項(e-Gov法令検索)/2026年9月12日確認
ただし、これは「国の手本にはない」という話です。就業規則は会社ごとに作るもので、引き継ぎについて独自に定めている会社はあります。まず自社の就業規則を開いて、退職の章に引き継ぎの記述があるか確認してください。就業規則は、労働者がいつでも見られる状態にしておくことが会社の義務です。
「引き継ぎが終わるまで辞めさせない」と言われたら
引き継ぎの完了と、退職の効力は、別のものです。
期間の定めのない雇用なら、退職の申し出から原則14日で退職になります(民法第627条第1項)。引き継ぎが終わったかどうかは、この14日の条件に入っていません。就業規則に「引き継ぎを完了すること」と書いてあったとしても、それは社内のルールであって、退職そのものを止める力とは分けて考えられます。
とはいえ、これを言い合いで解決するのは難しいのが実際のところです。話が平行線になったら、一人で抱えずに公的な窓口を使ってください。
総合労働相談コーナーは、全国の労働局・労働基準監督署の中に設置されている相談窓口です。予約不要・無料で、専門の相談員が面談または電話で対応します。退職に関する相談も対象です。
※窓口ごとに場所と受付時間が違います。出典ページの一覧で、行く前に確認してください。
会社が退職時に求めているのは、まず「返却」
モデル就業規則の中で、退職するときの行動に一番近いのは、引き継ぎではありませんでした。返却です。
労働者は、職場又は職種を異動あるいは退職するに際して、自らが管理していた会社及び取引先等に関するデータ・情報書類等を速やかに返却しなければならない。
(モデル就業規則(厚生労働省)令和7年12月版・第16条第2項)
あわせて服務規律にも、在職中と退職後を通じて、業務上知り得た会社や取引先の機密を漏らさないという項目があります(第11条⑤)。
就業規則で決まっていることとは別に、退職のときに誓約書への署名を求められることがあります。その書面のどこを読むかは、退職時の競業避止と秘密保持で扱っています。
つまり、国の手本が求めているのは「教えること」ではなく「持ち出さないこと・返すこと」です。引き継ぎを完璧にやることより、自分のパソコンやアカウントの中にあるものを、会社側が取り出せる場所に戻しておくほうが優先度は高い、と読めます。
- 個人のフォルダに入れたままの資料を、共有フォルダへ移す
- 自分だけがアクセス権を持っているファイルの権限を、上司や後任に渡す
- 取引先とのやり取りを、自分のメールボックスの外(共有先)にも残す
- 私物の端末に業務データを入れていたら、消す
パソコンや制服などの貸与品の返却は退職時にもらう書類と返すものにまとめています。この記事はデータと業務情報のほうを扱います。
何を引き継ぐか——引継書に書く5つ
引継書の形式に決まりはありません。以下は当サイトで整理したもので、法令や公的な様式にもとづくものではありません。使いやすい形に直して構いません。
| 書くこと | ねらい |
|---|---|
| ① 担当している仕事の一覧 | 自分のところで止まると困るものを、もれなく出す |
| ② それぞれの手順 | 読んだ人が動ける粒度で。画面の場所やファイル名まで |
| ③ 関係する人と連絡先 | 社内・社外。「この件は誰に聞けばいいか」が分かるように |
| ④ 進行中の案件と、次に何がいつ起きるか | 期限を書く。ここが抜けると事故になる |
| ⑤ データの置き場所とアクセス権 | フォルダ、アカウント、共有設定。前章の「返却」と同じ話 |
⑤が一番忘れられます。①〜④を丁寧に書いても、肝心のファイルに後任がアクセスできなければ意味がありません。
書く順番は①→⑤で構いませんが、時間が足りないときは④と⑤を先に書いてください。①〜③は後から人に聞けますが、④の期限と⑤のアクセス権は、本人がいなくなると分からなくなります。
引き継ぎ期間の決め方
よく「1か月」と言われますが、「引き継ぎには〇週間必要」という公的な目安は、探した範囲では見当たりませんでした。この記事でも書きません。
代わりに、自分の状況から逆算できます。
退職日 −(有給の残日数)= 実際に出社できる日数
これが本当の引き継ぎ期間です。ここを間違える人が多いところで、「退職日まで1か月あるから大丈夫」と思っていたら、有給が15日残っていて、実働は10日しかなかったということが起きます。
- 先に有給の残日数を確認する。確認の仕方と、有給を使い切る退職日の決め方は有給消化と退職日の決め方にまとめています
- 実働日数が出たら、そこから引継書を書く日を先に確保する。口頭で伝える時間は、書いたものがあれば短くて済みます
- 足りないなら、退職日ではなく「引き継ぎの範囲」を相談する。全部を渡そうとせず、④の期限が近いものから順に渡す
在職中に転職活動をしていて、入社日との兼ね合いがある人は在職中の転職活動のコツもあわせて読んでください。
後任が決まらないとき
「後任が決まっていないから、まだ辞めないでほしい」と言われることがあります。
これは会社の人繰りの問題で、退職の申し出から14日で退職になるという民法の規定を変えるものではありません。採用がいつ決まるかは、こちらにはどうにもできません。
やることは1つです。後任という「人」に渡すのをやめて、「部署」に渡す形にします。
- 引継書を作って、上司と共有フォルダの両方に置く
- 上司に「誰に渡せばよいか」をメールで聞いておく。返事が来なくても、渡そうとした記録が残ります
- 進行中の案件(④)は、期限が近い順に、関係者へ直接メールで共有しておく
口頭だけで済ませないのは、このためです。「聞いていない」と後から言われたときに、書いたものと送ったメールが残っていれば、話が早く終わります。
引き継ぎをせずに辞めたら、損害賠償されるのか
先に、はっきりしていることから。労働基準法第16条は、次のように定めています。
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
つまり、入社時の契約や誓約書で「引き継ぎをせずに辞めたら〇万円」とあらかじめ決めておくことは、法律で禁止されています。そういう書面にサインしていたとしても、その部分は効力を持ちません。
ただし、これは「あらかじめ決めておく契約」の禁止です。実際に会社に損害が出たときに、その賠償を請求すること自体を禁じたものではありません。「だから絶対に請求されません」とは書けません。請求が認められるかどうかは事案ごとに判断されるもので、当サイトは法律の専門家ではないので、ここで断定はしません。
心配な状況にあるなら、総合労働相談コーナーで相談してください。予約不要・無料です。実際に何を言われたのか、どんな書面にサインしたのかを持って行くと話が早くなります。
そして、この不安をいちばん減らすのは、前章までの「記録を残す」です。引継書を作って共有フォルダに置き、誰に渡せばよいかをメールで聞いた記録があれば、「何もせずに放り出した」という話にはなりません。
よくある質問
Q. 引き継ぎを終えないと退職できませんか?
A. 厚生労働省のモデル就業規則で退職について定めた第52条に、引き継ぎは出てきません。ただし会社が独自に定めていることはあるので、自社の就業規則を確認してください。
Q. 引継書は必ず作らないといけませんか?
A. 引継書そのものを義務づける決まりは、探した範囲では見当たりませんでした。ただしモデル就業規則は「自らが管理していたデータ・情報書類等を速やかに返却しなければならない」としています。アクセスできる状態にして返すところは求められている、と読めます。
Q. 有給消化中に「引き継ぎで出社してほしい」と言われたら?
A. 有給は労働者が取得する権利です。出社を求められて困っているなら、総合労働相談コーナーへ。
Q. 口頭だけで引き継いでも問題ありませんか?
A. 形式の決まりはありません。ただし後から「聞いていない」となったときに、口頭では何も残りません。④の期限と⑤のアクセス権だけでも、文字にしてメールで送っておくことをおすすめします。
Q. 引き継ぎが理由で、退職金を減らされることはありますか?
A. 退職金は法律上の義務ではなく、支給条件は会社の規程で決まります。減額の条件が規程に書かれているかどうかは会社ごとに違うので、ここでは断定できません。自社の退職金規程を確認し、納得できないときは総合労働相談コーナーへ。
まとめ
- 厚生労働省のモデル就業規則を全文検索したところ、「引継」「引き継」は0回でした(当サイト調べ・2026年8月23日時点)。退職の条文にも入っていません
- ただし自社の就業規則には書かれていることがあります。まず自分の会社の規則を開く
- 国の手本が求めているのは「教えること」より「返すこと」。データとアクセス権を、会社が取り出せる場所に戻す
- 引継書に書くのは5つ(担当業務/手順/関係者と連絡先/進行中の案件と期限/データの置き場所とアクセス権)。時間がないときは④と⑤から
- 引き継ぎ期間の公的な目安は見当たりません。「退職日 − 有給の残日数」で実働日数を先に出す
- 後任が決まらないときは、人ではなく部署に渡す。引継書を共有フォルダに置き、誰に渡すかをメールで聞いておく
- 「引き継ぎをせずに辞めたら〇万円」とあらかじめ決める契約は、労働基準法第16条で禁止。ただし実際の損害賠償の可否は事案ごとで、ここでは断定しません
- 困ったら総合労働相談コーナー(予約不要・無料)
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